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Vol. 56 ジェイムズ・スミソン(1765-1829)


スミソニアン博物館の礎を築いたイギリス名家の末裔

世界でも最大級の研究機関である「スミソニアン博物館」を設立したのはアメリカに一度も足を踏み入れたことのない人でした。ジェイムズ・スミソンはイギリス貴族の家柄にフランスで生まれました。父親はノーザンバーランド公爵、母親はイギリス国王ヘンリー7世の末裔であるエリザベス・メーシー。

スミソンはイギリスに移り、1786年に化学と鉱物学で優秀な成績を収めオックスフォード大学を卒業しました。22歳で王立協会のメンバーに選ばれ、生涯を通じて科学の発展に貢献しました。ヨーロッパ各地で過ごすうちに、著名な科学者たちと知り合いになります。

スミソンは生涯独身で、子孫は残しませんでした。また、生涯を通じて科学やその他の分野でも名声を博することはありませんでした。しかし、死に際して、母方の家系から相続した莫大な財産で歴史に名を残しました。

スミソンは所有していた不動産を甥に残しましたが、その遺言には「甥が相続人無しに若くして亡くなった場合には、財産はアメリカのワシントンD.C.にスミソニアン博物館という名前で知識を拡大・普及する機関を設立するために使うこと」と記されていました。

スミソンは一度もアメリカに行ったことは無かったので、彼がなぜアメリカに遺産を残したのかを推測するほかありませんが、彼の目的は明確でした。それは、生きた証を残すこと。スミソンが書き残したものの中には、「自分の体にはイギリスで最も素晴らしい血が流れているが、ノーザンバーランドという称号が消滅し忘れられたとしても、私の名前は人々の記憶に生き続けることができる」

彼の考えはどれだけ正しかったことでしょう!一年間に何百万人もの人々がスミソニアン博物館を訪れています。また、多数の科学者たちに研究のための費用や手段を提供しています。また、スミソニアン博物館は米国が所有しているすべての鉱物学・地質学の標本を管理している唯一の機関です。

スミソンはイタリアのジェノアで亡くなり、埋葬されました。1904年にスミソニアン博物館の役員会はスミソンが埋葬されている墓所が壊されることを知り、彼の亡骸をスミソニアンにあるチャペルにもってきました。

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