Vol. 41 カルロ・ジュリアーノ(1831-1895)
ルネッサンスのデザインを取り入れた19世紀を代表するジュエリー作家
イタリア生まれのカルロ・ジュリアーノは1860年頃にロンドンに移りました。そこで、有名なジュエリーデザイナー、アレッサンドロ・カステラーニの店のマネージャーになり、ジュエリー作家としての訓練も受けます。その後、カステラーニはジュリアーノがロンドンでジュエリー会社を設立する手助けをしますが、ジュリアーノはその後もカステラーニの創作に多大な影響を受け続けました。
その頃、古代エジプトやギリシャの発掘が貴族階級や中産階級に古代やルネッサンスのモチーフを使った衣類やジュエリーの流行をもたらしていました。ジュリアーノが創作した素晴らしいネオクラシックなジュエリーの人気は過熱し、これでジュリアーノは有名になりました。
ルネッサンスの宝飾作家やエナメル作家に取り付かれたジュリアーノは彼らのデザインやテクニックを自身のジュエリーに取り入れました。宝石はデザインの中心というよりも装飾として使われました。ブリリアントカットはカボションの次といった具合です。1874年までにジュリアーノはとても成功したので、ピカデリーに宝飾店を開店しました。
ジュリアーノが死んだとき、彼を成功に導いた人たちから忘れられることはありませんでした。彼は遺言で、お世話になった顧客に小さなジュエリーを残しました。また、英国政府にも素晴らしいジュエリーのコレクションを残しましたが、それらはヴィクトリア・アルバート美術館に所蔵されました。しかし、1899年にこれらのジュエリーは盗難に遭ってしまい、当時の栄光を語るものはほんの一部しか残っていません。