Vol. 51 アウグスタス強王(1670-1733)
1694年、24歳のときに、ジュエリー・芸術・権力・女性を愛するアウグスタス強王は、ローマ帝国のドイツ州にあたるザクセン選帝侯になりました。自身の影響力を強化するために、29歳のときにはポーランド国王に即位し、宗教もプロテスタントからローマカトリックに改宗しました。 彼は絶対君主制の制定を試み、ポーランドの領地の大半を“自称”連合国に譲渡しました(そのせいで、彼の統治時代はポーランドの歴史上最悪のものとなりました)。
ザクセンでは彼は成功者でした。フランスに逃亡したプロテスタントに信仰の自由を許し、経済を強化し、工場を建設し、芸術を奨励しました。また、ドレスデンをヨーロッパでも最高に壮麗な場所にしました。
フランスのルイ14世の宮廷を崇拝していたアウグスタスは、ジュエリーや芸術品を収集しました。ルイ14世のように、彼はいくつものジュエリーのセットを持っており、その中には素晴らしいダイヤモンドがセットされた剣を含む「ダイヤモンド・スイート(ひと揃い)」がありました。また、ムガール帝国をミニチュアで再現したものは、金と銀に4909個のダイヤモンド、164個のエメラルド、160個のルビー、その他にも多種多様な宝石でできていました。
彼の主張により、ザクセンはロシアのピョートル大帝とスウェーデンを攻撃しましたが、ポーランドはこの戦争への参加を拒否したため、1704年にアウグスタスは王位を追われることになりました(5年後には再度即位しました)。15年後に彼は収集した宝物(在庫表は141ページにも上ります)を貯蔵するための特別な貴重品貯蔵室を作らせました。
彼のコレクションは6フィート(1.8メートル)もの厚さの壁の後ろに貯蔵されましたが、この壁が元々緑色をしていたので、「緑の丸天井(グリーンヴォールツ)」と呼ばれるようになりました。アウグスタスは陶磁器コレクションを含む宝物を展示するために複数の美術館をドレスデンに建設する計画をたてていましたが、実現する前に63歳でワルシャワで亡くなりました。